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The Greatest Game Ever Played グレイテスト・ゲーム

アメリカ映画 (2005)

『グレイテスト・ゲーム』は、大好きな映画の1本。1913年の全米オープンでアマチュアとして初優勝したフランシス・ウィメットの伝記映画。映画の最大の魅力はゴルフのシーンだが、このサイトの目的は子役への着目。そういう観点では、この映画には3人の子役が登場する。最初に顔を見せるのはイギリスの伝説的プロゴルファー、ハリー・ヴァードンの少年時代を演じたJames Paxton、次いで、フランシス・ウィメットの少年時代を演じたマシュー・ナイト(Matthew Knight)、そして、映画の重要な脇役、全米オープンでウィメットのキャディとなって優勝に貢献する10歳のキャディ、エディー・ロワリーを演じたJosh Flitterの3人だ。ただし、ここで紹介するのはマシュー・ナイトのみ。好みの問題でJosh Flitterは対象外とさせていただく。マシュー・ナイトの登場するのは、2時間の映画のうち8分間のみ。従って、あらすじでは、成人してからの部分については、ほとんどすべてを割愛する。

この映画の重要な視点は、20世紀初頭の米英での階級制度の厳しさ、露骨さ。イギリスでの階級制度は有名だが、アメリカでの階級制度が表立って映画で描かれることは少ないので、観ていてこれが競争社会、移民社会のアメリカなのかと考えさせられる。現代のアメリカは大富豪、アッパー・ミドル層、かつての中間層から転落した貧困層などに分かれていると言われる。しかし、19世紀末、フランシス・ウィメットが生まれ育ったマサチューセッツ州は、アメリカにおける産業革命の中心地で、産業資本家が上流階級を形成し、それに対し、多くの移民は労働者階級として社会の底辺を支えていた。フランシスの父はフランス系カナダ人、母はアイルランド人という典型的な移民家族で、労働者階級に属している。家の前に拡がる “The Country Club” という由緒あるゴルフ・クラブとは縁のない家庭なのだが、11歳の時にキャディを始めたことがきっかけでゴルフに興味を持ち始める。映画では、1900年の全米オープンで優勝するイギリスのプロゴルファー、ハリー・ヴァードンに触発されるシーンがあることから、1913年の全米オープン出場時に20歳だった歴史的事実と合わせるため、11歳ではなく7歳に変えてある〔1913年で20歳なら、1900年の時点では20-13=7歳〕。ただし、マシュー・ナイトは撮影時10歳なので、7歳には見えない。


あらすじ

映画の冒頭、1879年、ジャージー島と表示される。英仏海峡のフランス沿岸にあるイギリス王室属領の島だ。あのモン=サン=ミシェルの北西わずか75キロに位置する。昔(1066~1204年)、ノルマンディー地方がイングランド王の所領だったことを今に伝える遺産でもある。映像としては、海を臨む崖近くに建つ藁葺き・石壁の貧しい農家が映され、次いで、4人の子が寝ている部屋へと移る。9歳のハリー・ヴァードンが物音で目を覚まし、窓の外を見ると4人のシルクハットを被った男たちの姿が見える。ヴァードンは外に出て行き、家の前で作業をしている男に、「誰なの? 何してるの?」と訊く(1枚目の写真)。監督と思われる男が、「ここに、ゴルフ・コースを造る」と話す。「ゴルフって何?」。「ゴルフは、紳士のするスポーツだ。お前には縁のない世界だ。分かったら、邪魔するな」と言って、コインを1枚指ではじいて渡す。よく見ると1877年発行の「1/24シリング貨」。ジャージーは特殊な通貨制度を持っていて、1877年に英本土に合わせて1ペニー=1/12シリングとなった〔それまでは1ペニー=1/13シリング〕。「1/24シリング貨」などと聞くと分かりにくいが、早い話、半ペニー銅貨〔強いて現在のお金に換算すると約100円〕を投げて寄こしたことになる。この会話で重要なのは、ヴァードンが紳士とはほど遠い身分だということ。階級社会が今以上に堅固だった19世紀のイギリスにおいて、この「階級」はヴァードンについてまわる。1913年の全米オープンに参加したアマチュア選手(貴族ですらない)が、ヴァードン本人の前で、「ゼロから労働者階級のヒーローに登りつめたジャージー出身の貧乏人」と平気で言う。この時点で、ヴァードンは全英オープンに5度優勝しているにもかかわらず、労働者階級のプロゴルファーということで見下される。すさまじい社会だ。さて、2・3枚目の写真は、アメリカのマサチューセッツ州にあるゴルフ・クラブでキャディとして働く少年時代のフランシス・ウィメット。マシュー・ナイトの初登場場面だ。フランシスの担当プレーヤーは2枚目の写真の左端の男。打ったボールが見当たらないのでフランシスが探している。ボールは、雑草の茂った中に落ちていた〔すごく下手〕。「ここにあります」。男が打とうとするので、フランシスはわざと後ろを向く。これは、「見て見ぬフリ=何をしてもいいですよ」というサインだ。男は、ボールを足で蹴って打ちやすい場所まで出す(3枚目の写真、赤い矢印は蹴られたボールの軌跡、黄色の円内に飛んでいるボール)。当時の 「紳士」のあり方を皮肉ったシーン。
  
  
  

天罰てきめんで、男が打ち終わって1歩踏み出すと、羊の新鮮なフンを踏む。フランシスは、ニヤっとする。男はアイアンで靴の裏のフンを落とし、フランシスは白い布でヘッドを受け取り、きれいに掃除する(1枚目の写真、矢印)。この作業はあまり嬉しくない。フランシスがアイアンをバッグに戻す時、地面を見ると、草の中にボールが1個落ちていた。拾って見てみると(2枚目の写真)、そこには、「VERDON FLYER」と印字されている。イギリスの偉大なゴルファーの名にあやかった商品だ。
  
  

場面は変わり、ゴルフのクラブを作る職人の店が映される。当時は、需要が少なかったので、職人が個人的に作っていたと記されている。頑固そうな男性が、ノミでウッドを削っている(1枚目の写真、矢印)。フランシスは、開いている窓に腕を乗せて作業を見ている。奥の壁には額入りの写真がかかっている(写真の右上)。写真の下には、「ハリー・ヴァードン、3度の全英オープン優勝者」と印刷されている。さっき拾ったボールを取り出して同じだと確認し、憧れるように写真に見入る(2枚目の写真)。見ていることが職人に気付かれたので、フランシスは慌てて逃げ出す。職人は、子供が何を見ていたか確認しようと後ろを向くと、そこにはヴァードンの写真があった(3枚目の写真、赤い下線は“HARRY VARDON”の部分)。
  
  
  

走って家に帰る途中で、フランシスは 乗馬服を着た少女に出会う。サラ・ウォリス、資産家の娘で、フランシスとは顔見知り。だから、フランシス気付くと笑顔になる(1枚目の写真)。それを見たフランシスもすごく嬉しそうだ(2枚目の写真)。この2人は、フランシスが20歳になった時にも、依然として顔見知りで親しげだが、2人の間には上流階級と労働者階級という、乗り越えられない壁が厳然と聳える。サラは、全米オープンでフランシスを声援するが、それ以上の関係には決してならない。フランシスがそのまま家に戻ると、父が「これが俺たちのやり方だ」と言い、今日稼いだお金を取り出し、「俺たちは、頑張って働き、金を家に持ち帰る」と言いながらガラス瓶に入れる。それを見たフランシスは、キャディで稼いだ小銭をガラスに入れながら、「頑張って働き、金を家に持ち帰る」と言って、にっこり笑う(3枚目の写真)。
  
  
  

恐らく翌日。良く分からないシーンが挿入される。フランシスがゴルフクラブ職人の店の前、もしくは、キャディ少年の客待ち場に座っていると、職人が寄って来て、フランシスの横に1本のウッドを何も言わずに置く(1枚目の写真)。フランシスは驚いて職人を見上げるが(2枚目の写真)、何も言わない。職人も、フランシスをじっと見ただけで、何も言わない(3枚目の写真)。職人は、なぜフランシスに高価なクラブを贈ったのか? なぜ、フランシスはお礼も言わずに黙っていたのか? 20秒の短いシーンだ。ただ、この職人は、フランシスが成人してからメンターのような存在となるので、かなり重要なシーンだ。
  
  
  

その夜、フランシスは、もらったウッドを使って、拾ったボールを転がしてコップに入れようとしている。音に気付いた母から、「フランシス、一体何してるの? もう 真夜中過ぎよ。弟が起きちゃってるじゃない。寝なさい」と叱られる(1枚目の写真)。翌朝、朝食テーブルに座ったフランシスは、1枚の紙をじっと見ている。父に 「何を持ってるんだ?」と訊かれ、「この人、見に行っていいでしょ、お願い」と頼む(2枚目の写真)。「何を言ってる。誰だと?」。「ハリー・ヴァードンだよ」。紙を見た父は、「このゲームをプレーする紳士は、誰一人として お前の友達じゃない」と諭すように語りかける。「身分違いのことに 興味を持つな」という警告だ。「分かってる。でも、史上最高なんだ」(1枚目の写真)。母は「見るくらい…」と、とりなし始めるが、父は「それ以上言うな。今日は、学校がある日だろ。これで終わり」と、母に対しても問答無用だ。
  
  
  

フランシスが玄関の外に座って、母が出てくるのを待っている〔途中まで 一緒に学校に行くため?〕。この1枚目の写真で気付くのは、フランシスの左右の材木が白木のままでペンキが塗ってないこと。隣の家の窓も白木だ。木は雨に当たれば最長でも10~20年(樹種による)で黒く腐食するので、なぜなのだろう? 面積の広い壁にはペンキが塗ってあるので、安く上げるためとは思えないのだが… ここで、母の声が家の中から聞こえてくる。「ダーシーさん、チビちゃんに気をつけてね。すぐ階段を上がろうとするから」。ということは、貧困層でも、子守を雇うことはできる程度の豊かさはあるのだ。現に、フランシスの服装も結構きれいだ。母は、ドアを開けて出てくると、「フランシス、本を置きなさい。買い物に出かけるから、付き合って」と言い、さっさと歩き始める。「でも、父さんは、学校に行けって…」。「1日ぐらい構わないわ。荷物持ちを頼みたいの」。2人は道路際の芝生の上を歩いて街に向かう(2枚目の写真)。1900年なので、道路は未舗装のまま〔世界最初のコンクリート舗装は、1914年のイリノイ州〕。だから、道路部分は馬車の轍で柔らかく、歩けたものでない〔馬糞も落ちている〕。写真の右側に見えるのが、“The Country Club” のゴルフ・コース。1913年の全米オープンの開催場所だ。フランシスが優勝できた遠因の1つに、彼が子供の頃からここでキャディをしていて、コースを知り尽くしていた点もあげられている。なお、“The Country Club” からボストン中心部までの距離は8キロほどなので、歩いて行けない距離ではないが、恐らくは乗り合い馬車に乗ったのであろう。
  
  

母が息子を連れてやってきたのは、ボストンの中心にある “Jordan Marsh”。今はもうなくなったが、かつては、アメリカでも最古参のデパートの一つだった(創業1841年、ボストンが本店)。デパートの前には、昨夜フランシスが見ていたのと同じ内容の大きな看板が出ている。ハリー・ヴァードンが来店して模範プレーを見せるのだ。そのため、デパートの前には人だかりができている。それを見た母は、「あの騒ぎ、何かしら?」と、とぼけてみせる。自分がどこに連れて来られたかが分かり、最高に幸せそうなフランシス(1枚目の写真)。「さあ、行って。中で会いましょ」。実によくできた母だ。フランシスは群集の間をすり抜けて中に入って行く。そして、カメラは群集を上から俯瞰して映す(2枚目の写真)。看板の一番上には、「APPEARING IN PERFORMANCE(来店して実演)」青字は推測〕と書かれ、下には「TODAY ONLY(本日限り)」とも書かれている。フランシスが、どうしても今日 来たかったハズだ。店内には、ステージが設けられ、バックにはグリーンとピンの絵が描いた布が張られている。当時、プロゴルファーは、こうしたデパート回りをしていた。だから、このセットも、この日だけのためではなく、毎回同じものを使用していたのであろう。群衆の前でヴァードンが美しいスイングでボールを打ってみせると、拍手が巻き起こる。フランシスも満足そうだ(3枚目の写真)。マシュー・ナイトには笑顔がよく似合う。
  
  
  

拍手が収まると、ヴァードンは、「どうもありがとう。それでは、ご好意に甘えて、手助けをお願いします。どなたか?」と、呼びかける(1枚目の写真)。フランシスはいち早く舞台に上がる。それを見て群集は笑う。体が小さいので、ヴァードンはフランシスになかなか気付かない。ようやく気付くと、ほがらかに、「やあ、名前は?」と訊く。「フランシスです」。ヴァードンは、ステージに、ティー代りの小さな台とボールを置き、フランシスに2番ウッドを見せ、「これ、何か分かるかな?」と尋ねる。フランシスはキャディなので、すぐに「ブラッシー」〔2番ウッドのこと〕と答える。ヴァードンは、びっくりした表情を群集に見せ、「やってごらん〔Have a bash〕」と2番ウッドを渡す(2枚目の写真)。フランシスは、打ってみるが、結果は惨憺たるものだった。ボールの台ごと打ってしまったので、2つが同時に飛び、しかも、ボールは絵の一番下の脇に当たる始末(3枚目の写真、赤丸がボールの初期位置、赤い矢印がボールの飛んだ方向で、その先に見える白い線が飛んでいるボール。青い四角が台の初期位置、青い矢印が台の飛んだ方向で、その先に見える白い点が飛んでいる台)。これを見た群集から笑い声が起きる。悔しそうなフランシスの顔(4枚目の写真)。
  
  
  
  

しかし、ヴァードンとしては、1回目で成功してしまっては、余興の意味がない。フランシスが失敗してこそ意味がある。ヴァードンは、「いいんだよ」と言って、フランシスの前にひざを付くと、「最悪の状態でも、決してあきらめないこと」と勇気付け、「生きた鳥を手で持ったことがあるかい?」と訊く(1枚目の写真)。フランシスが頷くと、「鳥を傷付けるほど強くなく、飛び去らないようしっかりと」とクラブの握り方を教える(2枚目の写真)。コツを教えてもらったフランシスの2度目のトライアルは、見事だった(3枚目の写真、赤印はボールの初期位置、その右上に見える白い線がボールの軌跡)。フランシスの得意げな顔(4枚目の写真)。
  
  
  
  

家に帰ったフランシスは、さっそく裏庭の畑の脇でボールを打ってみる(1枚目の写真)。それを、不快な顔をして父親が見ている。ここでマシュー・ナイトの出番は終わり。フランシスの少年時代にあたる1900年自体も、ヴァードンが全米オープンで優勝後に帰国し、プロとして初めてゴルフ・クラブの会員となるシーンで終わる。そこでは、優勝カップを持参したヴァードンが、Bullock卿に「いそいそと 返却するつもりはありません」と言うところが謎〔カップは翌年の大会の前に返却しなければならないので、この言葉は、翌年も挑戦するという意味に受け取れる。しかし、ヴァードンが1900年の次に挑戦したのは1901年ではなく1913年。1903年、1911年には全英オープンに優勝しているので 不調だった訳ではない〕。その後、仲介役のNorthcliffe卿が「クラブに欠員が出た」と言って、話の本題に入る(2枚目の写真、規定サイズに合わせるため、両端が切れてしまった。左端が優勝カップ、右端がヴァードン。立っているのがNorthcliffe卿で、2013年の全米オープンにも来て、労働者階級をけなす発言を多発する俗物)。
  
  

成人してからのフランシスの最初のシーンは、少年時代と全く同じ場面が選ばれている。真夜中、母が音で目を覚ますと、フランシスが自室でパターの練習をしている(1枚目の写真)。構図も少年時代とほぼ同じ。大きな違いは、ランプが電灯に変わった点と、弟がいない点、そして、写真の直後になるが、床の板張りの凸凹を乗り越えてボールが見事にカップインする点。その次に、「ウィメット、公立高校選手権で優勝」という見出しの新聞の切り抜きを見て微笑む母が映る。その後、フランシスは、全米アマチュア選手権に出場するため、キャディを辞め、出場を認めて欲しいと協会(?)に許可を取りに行くが、俗物の幹部に「君らの類が出るところではない。クラブの会員だけだ」と否定されてしまう。フランシスが、「会員でなくても参加できる途があるはずです」と訴えると、「今年は無理だ」と言った後で、他のメンバーに、「参加費50ドルが払えると思ってるようだな」とあざ笑うように話す。それを耳にはさんだフランシスが、「50ドルさえ払えば、クラブの会員でなくてもいいんですか?」と尋ね、参加が可能になる。CarInsuranceData.orgによれば、1913年の1ドルは、2017年の24.61ドルに相当するので、50ドルだと約14万円となる。父親は、それを聞いて強く反対するが、負けたら二度とゴルフはしないと約束することを条件に認める。アマチュア大会の参加者に対するパーティで、フランシスは、昔から親しかったサラ・ウォリスと一緒に踊るが、紹介された兄の言った言葉は、「キャディ・ボーイ」。次いで紹介された父親に「素敵な娘さんですね」と言うと、「お若いの、招待されたからといって、同じ身分になれたなどと思うな」と最大限の侮辱を浴びせられる。どこもかしこも俗物だかりだ。その後の大会では、何と予選落ち。父との約束もあり、スポーツ用品店に勤めることになる。しかし、その店に、全米オープンの関係者が来て、地元のアマチュアに出て欲しいと頼む。これを受けて、フランシスは出場を決意するが、父からは、約束を破ったとなじられ、試合が終わったら家を出て行けと言い渡される。ただし、後ろ向きなのは父一人だけ。特に、以前から目をかけてきたゴルフクラブ職人〔少年時代にウッドをくれた人〕は、フランシスにスイングの特訓をしてくれる(2枚目の写真)。お陰で、全米オープンの予選は無事クリヤー。イギリス人に奪われたキャディの替わりは、10歳のエディー・ロワリーが務めることで無事解決。そして、2013年9月18日の10時25分、フランシスは一打目を打つ時を迎える(3枚目の写真)。
  
  
  

ウィメットの第1ラウンドは5位〔実際は7位〕。第2ラウンドの途中で、サラ・ウォリスが声をかけてくれる。彼女は、父や兄のような俗物ではない。フランシスに好意を持っているので、幸運のお守り(馬蹄型)をキャディのエディーに託す(1枚目の写真、矢印)。第2ラウンドの成績〔第1と第2の合算〕は直接表示されないが、サラ・ウォリスと会った時の順位がそれだとすれば7位〔実際は4位〕。そして、試合後に洗面台の大きな鏡の前でウィメットとヴァードンがたまたま一緒になる。ヴァードンは、13年前にデパートで指導した子供が隣に立っているとは気付かないし、フランシスもそのことを話題にしない。しかし、2人だけのシーンは他にないので、2枚目の写真は、このツーショットにした。大会2日目の9月19日は朝から土砂降り。これは本当にあったこと。当時は荒天の時の取り決めがなかったために、選手は苦しんだと書かれている。第3ラウンドのウィメットの開始時間は10時55分。ギャラリーは約3000人。第3ラウンドの成績〔第1~第3の合算〕は、1.ヴァードン、2.Ted Ray、3.ウィメット〔実際は3人とも1位〕。そして、最終ラウンドの成績〔第1~最終の合算〕は、ヴァードン、Ted Ray、ウィメットの3人が1位。そこで、翌、9月20日にプレーオフが行われることになる。10時に始まったプレーに、集まったギャラリーはアメリカ史上最高の約2万人。試合はTed Ray が脱落、17ホールでヴァードンがウィメットに1打差を付けられ、最終18ホールでもウィメットが1打差を守りきって優勝する。3枚目の写真は、優勝のボールを拾う喜びのシーン。映画では、ハラハラさせるために最後まで競り合うが、実際は、1位ウィメット、-1(3バーディ、2ボギー)、2位ヴァードン、+4(3バーディ、5ボギー、1ダブルボギー)、3位Ted Ray、+5(2バーディ、5ボギー、1ダブルボギー)と、大差がついていて、第10ホール以降はフランシが単独首位を保った。これでは面白くないので変えたのであろう。
  
  
  

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